2014年05月06日 西日本新聞
障害者が経済的に自立できる社会にしたい-。
こんな思いから福岡市の大手企業を脱サラした男性が6月、
障害者の就労支援施設を開設する。企業のニーズに沿った障害者の新たな
職域をつくるのがテーマ。「企業が福祉を、福祉が企業を知れば、
障害者の活躍の場はもっと広がる」。企業人、社会福祉士、障害者の父親。
三つの視点を生かし、企業と障害者の橋渡しに第二の人生を懸ける。
「ここにデスクを並べて、こちらは作業台にしよう」。4月上旬、福岡県春日市。
改修工事が進む貸事務所で、船越哲朗さん(47)=福岡市南区=は内装の
イメージを膨らませていた。合同会社「絆結(ばんゆう)」。ウェブサイトの更新などの
パソコン操作やシュレッダーでの資料の廃棄…。
どこのオフィスでも必要な事務作業を障害者が請け負う。
国の支援を受けて雇用する予定の15人が勤めるのは、長い人でも1年半を目標とする。
ここでの勤務はあくまでも訓練。
その後、一般企業に就職するときが初めて「経済的な自立」と考えるからだ。
「障害者ができることを明確にすれば、企業も安心して迎えられるはず」
22年間勤めた西部ガスでは営業を担当。愛妻と3人の子どもに恵まれた。
末っ子の次男(12)が3歳のころ障害に気付いた。
言葉を覚えないのに不安を感じて病院へ行くと、
知的障害と広汎性発達障害があると告げられた。
「自分が年老いたとき、この子はどうなるのだろう」。
屈託のない次男の笑顔の横で、悩みが膨らんでいった。
当時は出向先の福岡商工会議所で、多くの企業の実情を見聞きしていた。
一方、父親として福祉とも向き合い始めた。そこで気付いたのが、
障害者の雇用を進めたい企業と、能力に見合った仕事がない障害者の存在。
「互いに知らないだけじゃないか」。両者のすれ違いがもどかしかった。
同期トップクラスで課長職に昇進したが、
仕事を辞めて福祉事業を始めたいとの思いが募り始めた。
でも、「それで食べていけるのか」と同僚。家族も「将来のため貯蓄すべきだ」と反対した。
背中を押したのは、次男の笑顔だった。「魚を与えて終わりではなく、
釣り方を教えなければ」。企業も福祉も知る自分にできることを始めようと思った。
2年前に退社し、社会福祉士の資格を取得。10年後に次男は、
大卒者が社会に出る22歳になる。
厚生労働省によると、障害者の法定雇用率(2%)を達成する企業はまだ5割に満たない。
しかし、「自分たちのような施設が成功することが、障害者の雇用拡大につながる」と信じる。
社長を目指していたころのように、ばりばりと営業に回り、施設の仕事を取ってくるつもりだ。
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